世界に居ます

働く駐在員

タイには度々お祭りがあって、ステージでは日本人バンドが椎名林檎を歌ったりしている
もっと駐在員や駐在妻の心に響くような選曲をすればいいのになあと思ったりする

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駐在員は働いている

ほとんどの方が僕より3時間以上早く起床する
そして半数以上の方が僕よりも2時間ほど遅くに帰宅する
そして週末はゴルフに出かける
ゴルフに出かけない日は家族サービスを心がける

10年や5年も前に比べて、家族帯同の駐在員が増え、単身者は減ったらしい。
カラオケと呼ばれる所謂、日本でいうキャバクラのようなところの店前でつまらなそうに女の子たちはスマホをいじっている。単身者にとってはパラダイスのような場所だっただろう名残が、所狭しと廃れていっている。
もう呼び込みさえしない。

家族帯同の駐在員が増えたため、子供のための遊び場、奥様のためのおしゃれなカフェが増えた。

駐在員はタイ人の女の子たちのお尻を追いかけ回さなくなり、飛び出しをしないように子供を心配な目で追いかけるようになった。

本当に、日本人が住みやすい国ではなく、日本人「家族」が住みやすい国へとなったタイ。

お父さんたちは働いている

日本と変わらないところに退屈さを感じる一方、
なぜ彼らがタイにいるのかが不思議になる。

もちろん会社の辞令だから、だが、
家族を連れて
日本を飛び出して
日本みたいなところで
日本より給料をもらい
日本食を食べ
日本のように働き
日本を求められて
日本に応える。

駐在員を見ていると、そして言葉の通り触れてマッサージして確かめてみると、日本人の身体感覚はどっからどこまでになっているのだろうと感じる。
どっからどこまでが日本なのだろうか、
どこまで、身体は日本人として生きられるのであろうか?

身体に手を当てる

いわゆる「手当て」っていうのは単に人に触れるだけで「手当て」であって、自分でやろうが見ず知らずの素人にやられようが「手当て」であるところがなにより素晴らしいところである。
つまり触れるだけで治療効果はあり、治るという。
それがプラシーボ効果であるのなら、それも治療に取り入れるべきだし、ただしそれだけじゃない理由もある。
その理由の一つとして、自分の身体感覚を取り戻すことにある。

忙しい日々を送ったり、ストレスを抱えると、
自分の身体がどこまでであって、どこまでが皮膚で、どこまでが心なのかが分からなくなるらしい。
赤ん坊をお風呂に入れる際にお腹に一枚の布をかけてやるのは、自分の身体に何かが触れることで安心感を持たせてあげるためだが、それに近い感覚なのだろう。
人間は馬に乗っていた時、自分の身体の感覚を馬の大きさに合わせることができるから、乗馬ができる。
車で細い道を通ることができるのは、自分の身体感覚を車の幅に合わせて意識することができるためである。
インターネットの身体感覚が一時期問題視されたが、それは自分自身の身体というものの幅が、コントロールできる範囲を超えたところにあることを危惧したためである。

人間はすごい。自分の肉体を超えて自分をつくりあげることができる。
ただなんとなくそれって、すごくエネルギーを使っていそう。とんでもない想像力を果たしそう。

だからこそ手当てをするのがいい。
手を当てて、さすったり、同じリズムで叩いたり、揉んだりすると、自分がどこにいるか分かる。
自分がどこにいるのかがわかるって、ばかばかしいけど大事なことに思う。

働く駐在員、日本ではないところでいくら日本と同じような、いや日本以上のJAPANの恩恵を受けても、
身体がどこにあるのか、それを意識しながら働く人なんていない。
いつのまにか自分の身体感覚が化け物のように大きくなっていて、ストレスは計り知れない。

どこにいるかわからん、
そういうことを無くせたらいい